No.008

愛しのヒールさま



「うわぁ、かっこいい」


 漏らした言葉に隣から不満の声が上がる。「俺の方がかっこいいでしょ」ってそんなことを言ってのける人間はこいつくらいしかいないだろう。横目で見るとこれまた不満そうな表情で標的を見ている。おいおい、敵じゃないんだから。


「顔面だけじゃん」
「聞き捨てならないんだけど」


 なおも不満そうな顔がこちらを向く。眉間にしわが寄っていても整っていることが十分に分かるこの顔はたしかに格好いい部類だとは思う。しかし私が言いたいのはそういうことじゃない。


「中身がかっこいいのはあんたより“岩ちゃん”でしょ」
「それを言われると強く否定できないのが悔しいけど俺もかっこいいでしょっていうか岩ちゃんなんて呼ぶほど仲良かったっけ?」


 カキーンと気持ちいい音が空に響き渡る。思わず空を見上げると白い球が空を割って遠くまで飛んでいた。さすがだなあ。ボールを打ち上げた主を指さしながら「ほらかっこいい」と言うと「分かってるよ!」と返ってきた。隣の及川もけして運動神経は悪くないどころかすごいはずだけど、どんな競技でも活躍できる岩泉はある意味で別格。及川もそれを十分に分かっているから強く否定できなくて悔しいようだ。
 「狂犬ちゃん悔しそう」と打たれたボールを放った彼を見ながら及川はにやけている。岩泉はもちろんピッチャーもバレー部らしい。その表情を見ればきっと色んな意味で可愛がっているんだろうことが容易に想像できたのでピッチャーの彼に心の中で同情を送った。


「で、岩ちゃんといつ仲良くなったの?」


 岩泉がダイヤモンドを1周しているのを眺めていると及川が不意に話題を戻す。いつ仲良くなったって、そんなの及川の方がよっぽど知ってそうだけど。だって岩泉とは同じクラスにもなったことないし、及川を通して何度か喋ったことがあるくらいだ。実際には『岩泉くん』としか呼んだことがなくて、本人目の前に『岩ちゃん』なんて呼ぶ勇気もない。及川には教えてあげないけど。薄笑いを浮かべながら及川をちらと見ると彼の眉間の皺は一層深くなった。
 ホームランバッターはホームへ帰り、チームメイトにもみくちゃにされている。改めて「やっぱ岩ちゃんすごいね」と言うといつもよりワントーン低い声で「ごまかすなよ」と怒られた。口調と言い表情と言いいつものヘラヘラしている及川とは別人のようだ。


「仲良くはないよ」
「じゃあなんで」
「あんたのマネしただけ」


 だから安心していいよ、という言葉に及川の表情も少しだけ和らぐ。が、納得はしていないらしく「俺の方がかっこいいのに」とまだ不満そうだ。


「岩ちゃんは戦隊ヒーローものでも熱血漢のレッドとかできそうだよね」


 私の唐突な発言に及川は「はあ?」と声を上げた。その上で「俺の方が適役じゃない?センターと言えば俺でしょ」と自信満々に言っているが無視することにする。


「松川はグリーンで花巻はブルーかな…いやイエローでもいいかな」
「ねえ俺は?イケメンの及川さんは?」
「……すげー強そうな感じで出て来るのに死亡フラグ立てまくって負ける敵?」
「なんでだよ!」


 高校3年生にもなって頬を膨らませて怒る及川を見て口元を緩める。そんな顔が似合う男子高校生は日本中探してもなかなかいないだろうな。


「だって岩ちゃんによく怒られてるし」
「岩ちゃん基準なの?」
「岩ちゃんが青城レッドなのは確定だから」


 「なにそれダサい」とネーミングセンスにダメ出しされたのでその背中を思い切り叩いておいた。
 ボールをぶつけられただのゲンコツ食らっただのはよく及川から聞く話だ。さながら予定調和で必ず倒される戦隊ヒーローものの敵のようじゃないか。
 顔をしかめたままの及川から「もっとかっこいいのがいい」と文句が上がったので「たとえば?」と問えば「ブラックとかシルバーみたいなおいしいお助けイケメンキャラでもいいよ」なんて調子のいいことを言う。及川みたいな目立ちたがり屋のやる立ち位置じゃないと思うんだけど。正直にそう言うと黙ったので本人にもその自覚はあったらしい。


「あ、試合終わった!岩ちゃんの勝ちだね」
「ねえ、いつまで“岩ちゃん”て呼ぶ気?」


 5組の試合が終わったということは今度は我が6組と1年の試合だ。出場選手はもちろん私たちと同様に応援に来たクラスメイトも集まってきたので、移動のために立ち上がろうとしたが及川の手によって阻まれた。腰を少し浮かしたところでぐいと腕を引かれて再びおしりを地面に着ける。


「及川さんヤキモチですか?」
「そうだよ」
「でもさあ」


 私、昔から主人公より敵を好きになっちゃうタイプなんだよね。

 ニヤっと笑って及川を見れば何故か悔しそうな顔で頬を赤くしている。続いて出た「ずるい」という言葉でその表情の意味は分かったけど、そんなところも可愛いと思ってしまうくらいには私もやられているんだよなあ。


「さ、応援するよ」
「無理」


 立ち上がった及川は私の腕をつかんだままグラウンドとは逆方向に進んで行く。球技大会の今日、校舎にいる生徒なんて何人いるんだろう。私も及川も出場競技は早々に負けてしまったから時間はいくらでもあるのだ。


「及川のことも及ちゃんって呼んであげようか?」
「それはいやだ」
「及川くん可愛いなぁ」
「はいはい、お前の方が可愛いから」


 誰もいない教室に着いてやっとこちらを見た及川の表情はさきほどまでのそれとは違っていた。からかった時の怒ったりふざけたりしている顔も照れて赤くなっている顔も好きだけど、一番好きなのはこの顔かもしれない。2人きりの時にしか見せない『男』の顔。 獲物を前にした捕食者のようで、瞳には熱が籠っている。

 今日はいじわるなことばかり言ってしまったから、後で彼のかっこいいところと1つずつ教えてあげよう。ゆっくり近づいてきたその顔に合わせて目を閉じながら心の中で決めた。





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