No.007

めでたしめでたしのその先は



世の中には『ヒール』と呼ばれる役割が存在することをご存知だろうか。

ヒーローと相対するその役割は、ちびっ子たちから受けが悪い。しかし、ただの平和な世界であれば何の展開もなく、むしろ物語は始まりもしないので、なくてはならない存在だ。
私はそれに分類される人間だったのだと思う。私という一人のヒールがいなければ、あの二人は進展もなにもすることはなかっただろう。ただし、そこで打ちのめされて悲観することもなく、盛大に舌打ちができるぐらいには私の性格はひねくれていた。




「ちょっと手が出ただけじゃん」
「完全にお前が悪いだろ」

1ミリの反省もなく言い訳を垂れる。そんな私に「最初に手を出したお前が悪い」と正論をぶつけてくるのは、クラスメイトの岩泉一である。彼とは何の縁か、中学校からクラスを違えたことがない。見た目が派手でギャル(髪の色は水泳部だから塩素で色が抜けた、肌は地黒と日焼けで人より年中黒い、平均より発育が良く胸がデカイ)な私とは、どう考えても結びつくことがない交友関係だが、見目に左右されず、愚痴を最後まで聞いてくれる。まさに『イイ奴』。彼は私にとって良き相談相手には違いなかった。ただし、彼は直球ストレート一本勝負に挑むような人間である。恋愛は姑息な手を使おうが奪ったもん勝ち精神である私と、とことん馬が合わなかった。愛と戦争は紙一重って言葉を知らんのか、おのれは!

「なに言われたんだ?」

...ゴホン。とどのつまり、遠慮なく罵声が飛び交う仲、裏を返せば本音をぶつけ合える仲であるということ。また、彼が周りの人間や噂に左右されず、「完全にお前が悪い」と言いつつも、そこに何か相手に原因があったことを察せるほど、私の性格を熟知していることも示している。同時に私が負けず嫌いで、特に失敗談だけは頑なに口を閉ざす、そんなプライドの高さを持ち合わせていると知っていた。

「あんなクソ男の言ったことなんて、口に出したくない」

そして、非常に面倒なことに私も彼もアマノジャクだ。こうなったらとことん長い。岩泉は連日しつこく「どうしたんだ」と聞くだろうし、私も「言いたくない」と口をへの字に曲げるだろう。一歩も進まない会話は、進むどころか後退し始めると目に見えていた。ここで話していても仕方がない。

「あー!もー!やってらんない!」
「オイコラ待て、逃げんのか」
「はあ?別に逃げてなんかないし!」
「待てって!だからお前さ――、おい...?」
「....あ、」

そんな平行線の会話から、ひとつ、水面に小石が落とされる。特に意識はしていない。ただ、会話の中にいた人物が視界の端にいて、思わず変な声が出た。たったそれだけ。いや、ホントはむかつくけどさ――と、そんな風に苛立ちが先に来るかと思いきや、熱くなってきたのは腹の底ではなく目の奥だった。
なんだろう、何を恨めばいい。
私の無駄な目の良さか、岩泉の説教にうんざりして廊下に出てしまったことか。それとも、そもそも論としてアイツと付き合っていたことか。エトセトラ、エトセトラ。

「なに言われた」

ちくしょう、こんなときもそればっかりか。慰めろよバカ。

地面に埋められたみたいに固まっていた足は、なぜか彼が少し腕をひいただけで簡単に動いた。「ちょっと来い」なんで命令されなきゃならないの。すぐにでも言い返したい言葉は嗚咽に混じって上手く出てこなかった。「これ被ってろ」突然かけられたブレザーは光を遮っても音を通す。「顔上げんなよ」アンタなんて、恋愛の『れ』の字も知らないくせに!悪態も今日はすこぶる調子が悪かった。
少しずつだけれど、喧騒が遠ざかっていく。途中、「岩ちゃーん!」と有名人が彼を呼ぶ声も聞こえた気がしたが、私の手を引いて前を歩く岩泉はそれに応えることをせず、足を止めることはなかった。

「俺は、お前のこと知ってんべ」

息を整えたところで、狭い視界の中、くるりと急停車したつま先がこっちを向く。予想外にも質問とは別の言葉がでてきて面食らった。

「性格がクソ悪いのも、よく知ってんべ。...だから、なに言われたって俺は驚かねーよ」

なんだそれ、私が性格悪いって確認されただけじゃん。口の中で留まった文句とは裏腹に、私の波打った心は次第に落ち着きを見せ始めた。おずおずとブレザーから顔を出せば、目の前の男はドヤ顔のまま仁王立ちし、ふん、と自信満々に鼻を鳴らす。

「イマサラだろ」

いや、そうだけども。それとこれとは話が別だ。今から吐き出す言葉は、ただの鬱憤ではなく、未練がましい負け犬の遠吠えになると明らか。そんなもの誰だって言いたくない。たとえ性格がバレている腐れ縁の男であったとしても、だ。ちっぽけなプライドだと嘲られても嫌なものは嫌。しかし、黙って待つ岩泉はそこから一歩も動かない。

結局はまた平行線になるなら、と私は伝家の宝刀を取り出した。

「...関係ないでしょ」

今のような前例はないが、ちょっとした言い合いも面倒になってくると最後にはお決まりの言葉が場を治めた。そのとき、余計な口を挟みすぎたと思うのか、はたまたドストレートな言葉で言い過ぎたと思うのか、彼は決まって苦虫を噛み潰したように黙り込む。私も私で気まずくなったり、意地を張ったままそっぽを向いたり。その日一日はギクシャクするものの、次の日にはお互い忘れて笑っている。
だから、今回も大丈夫だろう、というのは、安易な考えが悪かったらしい。ドヤ顔だった彼の表情は、一瞬だけ考えるそぶりを見せたあと、次第に感情がそぎ落とされていった。ばつが悪そうに目を逸らす、通常時のルーティーンはない。

「あの、...岩泉?」

私は耐え切れなくなって先に口火を切った。どうしようもない屈折した性格では、自身の広くもない人間関係を心配するぐらいにしか、思考は至らない。どうしよう、何を言えば許してくれるだろう。なにが原因かわからないのに、改善なんてできるのか。ぐるぐるまとまらない考えが頭を埋め尽くしていく。

「ああ、そうだな」

いつになく温度のない声音が耳に届いて、ついさっきよりも涙腺が刺激された。もう前が見られない。私は再びブレザーの下で俯いた。はあ、と漏れ出た大きなため息に肩をびくつかせる。

「...お前には関係ねーかもしれねぇけど、俺には関係ある」

一泊置いて彼の声が柔らかくなった、気がした。もう、大丈夫かな。早々とそう判断した私がゆるゆる顔を上げようとすると、ブレザー越しに頭へ手が置かれる。ぽんっと軽い調子でのせられた割には、重量がハンパない。ちょっ、ゴリラ力強い!

「見んな」
「.....は?」
「好きなやつに情けねぇ顔見せたくねーの!」

瞬間、痛みも吹っ飛んで、センチメンタルもネガティブもどこかへ消え去った。彼の手から逃げて顔をあげると、私に負けず劣らず、ひどい顔をした岩泉がいつのまにか仁王立ちを崩している。彼は片手で顔を覆い、唸った。

「....こんなこと言うつもりじゃねーのに、ああ、くそ、」
「ええと、」
「お前なあ!この際だからハッキリ言うぞ!」
「エッ、あっ、ハイ」
「好きなやつに恋愛相談された上!けちょんけちょんにされるやつの気持ち考えろ!」
「....ゴ、ゴメンナサイ?」
「挙句の果てには、『俺には関係ない』って?こちとらずっと関係してんべ!」

あの、えっと、ごめん、ごめんなさい。すみません。申し訳ございません。

平謝りモードになった私に、告白まがいのことをしておいて、なぜか鬼の形相で説教し始める岩泉。破壊的だったものの、普通に告白されるよりも納得してしまった。




「で、返事は?」
「エッ」

いや、ちょっと雑すぎやしないか。当時思ったそれも、物語のごとく『今は昔の話』である。


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