No.022

茨は全て切り裂いた



金曜日の夜というものは、翌日が休みとあって夜更かしを促すものが多く存在する。
夜遅い時間帯に放送される映画もそのひとつで、私もどっぷりその策略にはまっていた。
昨晩は童話『眠りの森の美女』をテーマにした映画が放送されており、それを遅くまで見ていたせいもあってか、どうにも目覚めがすっきりとしない。

目を擦りながら身を起こすと、ただカーペットの上に寝転んでいたはずの私の体の上には、何故か毛布がかけてあった。
それを不思議に思いながらも、ベッドの方にゆるりと振り返る。
一緒に映画を見ていたはずの岩泉は、映画の最後で寝入ってしまい、私が寝られるようにスペースを空けてベッドの隅に転がっていたはずだ。
その姿が見られないとあれば、既に起きだしているのだろう。
再度カーペットに寝転んで目を閉じると、台所から響く生活音がよく聞こえた。
そうして耳をすませていると、カチャカチャと何かをかき混ぜるような音の後、のしのしとした足音がこちらに向かってきた。

きっと私を起こしに来るであろう岩泉を待ちながら、ぼんやりと昨日見た映画の内容を思い出す。
映画の内容は、テーマにしたとあって、大筋は『眠りの森の美女』とほぼ同じである。
茨の城をくぐり抜けた勇敢な王子様が、美しいお姫様にキスをするシーンがやはり印象的で、うとうとし始めた岩泉に冗談で「明日キスで起こして」と頼むと、寝ぼけていたのかコクリと頷いた事は、はっきりバッチリ覚えている。

「おい、朝だぞ」

しかし、ゆさゆさと私の肩を軽く揺する岩泉は、恐らく昨晩の会話なんて覚えていない。
覚えていたとしても、きっと行動には移してくれないだろう。
ならば我が儘を言って押し切るまでだと考えてしまうのは、岩泉が何だかんだで、私の我が儘をきいてくれる事があるのだと知っているからである。

「朝飯できたぞ」
「……」
「朝だぞー」

なんだか間延びした声で起こそうとしてくる岩泉のちょっとした可愛さに、口元の緩みを引き締められずに息を漏らしてしまった。
途端、岩泉の声が少し低くなる。

「…おい、お前起きてるだろ」
「…う、うーん……」

苦し紛れに寝ているふりを決め込んでみたが、岩泉からかけられている疑いはやはり晴れない。
「いい加減起きろ」と岩泉がなんだか不機嫌になった辺りで、この男が昨日のやりとりを思い出す事を諦めた。
しかし、どうしても憧れのシチュエーションをやって貰いたいがために私が考えついた作戦は、非常に間抜けなものだった。

「…うーん、岩泉がキスしてくれたら目が覚めるかも、うーん…」

寝言のフリをしてそうは言ってはみたものの、我ながら馬鹿みたいな発言をしているという自覚はあった。
案の定、岩泉も「はぁ?」と心底呆れたような声を漏らす。

「何馬鹿なこと言ってんだ。朝飯冷めるからさっさと起きろ」
「………」
「…おいコラ、聞こえてんだろ」

軽くではあるが、岩泉は私の耳をツイツイと引っ張る。
それにもめげず、このまま駄々を捏ね続ければ、愛しの彼のキスで目覚めることができるのではないかと期待したのだが、岩泉はあろうことか私の傍から離れていった。
そしてそのまま足音は遠ざかり、数秒後再び戻っては来たのだが、何やらカチャカチャと食器のこすれる音がする。
うっすらと瞼を開けると、岩泉は部屋の真ん中にあるローテーブルに朝食を並べ始めていた。
昨日の残り物の肉じゃがに味噌汁、先程焼いたらしい鮭の切り身、お茶碗に盛ったご飯を2つずつ手際良く置いていく。
二つ並んだご飯は岩泉の方だけ大盛りで、私のものは控えめによそわれている。
それを薄目でぼんやりと眺めていると、不意に岩泉がこちらに顔を向けた。
慌てて瞼をぎゅっと閉じたものの、私がたぬき寝入りをしていることに気付いている岩泉は、再度「おい」と口を開く。

「いい加減起きろ、今日は遊園地に行くんだろ」
「…う、うーん…岩泉が目覚めのキッスしてくれたら…」
「キッスとか言うな」

鳥肌たったわ、と言いながら岩泉はローテーブルの前に座り、両手をパンと合わせる。
食事の時に「いただきます」という言葉をかかさない岩泉のそんな律儀なところも好きではあるが、ここまで彼女がお願いしているのというのに、無視を決め込むのはどうなのだろう。

付き合い始めてそれなりにはなるが、岩泉のこのつれなさはなんなのだろうといつも思う。
私たちの交際というものは、私の執念とも言うべきアタックに岩泉が折れた事から始まった。
高校3年の頃一度告白し、「部活に集中したいから」と言って断られたものの、諦めきれずに岩泉に積極的に話しかけていたあの時期を思い出すと懐かしい。
あの頃の岩泉は私のアタックを意にも返さず、あまりにしつこく関わっていったせいで鬱陶しがっており、果てには私の扱いが酷く雑なものになった。
「粘るねぇ」などと岩泉の幼馴染みにある意味感心されもしたが、なんだかんだで降参したのは岩泉の方だった。
「認めたくねーけど、お前が好きだ」というロマンチックの欠片もない告白を受けた時は、幻聴か夢かと思って私も挙動不審な態度をとってしまったっけ。
岩泉の彼女になるのは茨の道ではあったが、あれからそれなりに経つというのに、私たちの会話の応酬に大した変化は見られない。

そうして黙々と朝食を食べ始めた岩泉を薄目で確認し、今回は私の我が儘を聞いて貰えない事を察した。
少しだけ心残りではあったが、諦めも肝心であると分かっているので、私はゆっくりと身を起こすことにした。

「おう、おはよう」
「…おはよう」

ズズと味噌汁をすすりながら、岩泉は上半身を起こした私の方にチラリと視線を寄越す。
その視線にじとりとした目を向けてはみたものの、岩泉はそんな抗議の視線を物ともせず、「早く起きろ」と言って味噌汁のお椀をテーブルの上に置いた。
ああ、これは岩泉が折れてくれないパターンだと再確認し、私はしぶしぶ毛布から抜け出した。
しかし、テーブルの上に並べられたザ・日本の朝食!という朝ご飯を見ると素直にお腹がすいてくるので、私も単純な人間である。
早速朝食にありつきたいところではあるが、まずは顔を洗って来ようと私が立ち上がろうとした時、不意に岩泉が口を開いた。

「なぁ」
「…なに、」

何の前触れも無くカーペットに片手をついて、唐突に身を乗り出した岩泉の顔が至近距離に迫る。
それに驚いて目を見開いた瞬間、柔らかな感触が唇に触れた。
人肌というよりは、先程すすっていたものの温かさを残したままの唇は、ふにりと解け合うように押しつぶされる。
故意なのかそうでないのか、この男のこういうところが、酷く私の心をかき乱す。
そうして3秒後に離れていった岩泉のそれを名残惜しく思いながらも、思わず自身の唇をむぐりと引き結ぶ。
その際、舌に良く知る味が広がり、それがまたムードというものを華麗に粉砕した。

「…味噌汁の味がする目覚めのキスってどうなの…」
「ロマンチックだろ」

心にもないくせに、岩泉はそんな事を言ってニヤリと笑う。

「で、お姫さんは目が覚めたかよ」
「…うん」
「よし、ならさっさと腹ごしらえして、出かけようぜ」

寝癖のついた髪をさらりと私の耳にひっかけながら、なんだかんだで昨晩の会話を覚えていてくれたらしい岩泉に、思わず「好き!」と叫んで抱きついた。
「飯食えねーからひっつくな」などと文句をたれる岩泉ではあるが、その口元がやんわりと緩んでいたのを私は見逃さなかった。




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