No.021

あなたのせなか



"青城に勝った"
その文字で、ドキリと心臓が跳ねる。

手の中の端末で繋がる相手はスポ少で一緒だった、幼馴染と言うか悪友と言うかうまく関係を言い表せる事が出来ない相手で、
バレーと言う繋がりだったものから離れてしまった私としてはこちら発信の話題がなく、そっけなく返していたやりとりでも
現在の学校の様子などをチームメイトと撮った写真を添付して来ては楽しそうに語る彼に最初は憤りを感じていた事もあるが、今は感謝しかない。

今から1年と数ヶ月前、それまでは毎日来る日も来る日もバレーの事ばかり考えて、あのボールに触れる事のない日がなかった私は、突然バレーと離れなくてはいけなくなった。
怪我と言う最悪な形で。
ショックと言うより、呆然としていて気付けば、龍之介に電話して、気付けば泣きながら彼にバレーが出来なくなった事を告げると、部活帰りで疲れているだろうに、
中学は校区外だった私の家まで、人に借りた自転車で来てくれた。

肩で息をする龍之介は、ずいぶんとがっちりした体型になっていて、でも幼い頃から変わらない笑顔で『俺が全国連れて行ってやるよ』と何の含みもない言葉をかけて、少し乱暴に私の髪をかき混ぜるようにした龍之介の手を思わず払いのけてしまったのにそれにすら嫌な顔ひとつせず、じゃあと去っていった龍之介の大らか過ぎる性格とメンタリティに感謝だ。

青城に勝った、それが意味するのはあの青城に勝つだけの努力をし、それが実ったと言うことと、
絶対王者の白鳥沢との決勝戦が待っていると言うことで、夢のような対決カードに胸が躍らない訳が無い。

『なぁ、試合見に来ないか?』
春高の予選が始まる前日、龍之介が"電話してもいいか?"なんてメールを寄こしては、遠慮がちにそんな誘いをしてきた。
私は、何でとか、知らない人ばかりだし、と言う言葉を飲み込んだ。
『暇だったら行く』なんて可愛げのない返事をしたのは、なんとなく罪悪感があったからだ。
あの日、龍之介の手を払いのけてしまった事や、楽しそうにバレー部の話題を振って来る事に憤りを感じていた事への罪悪感と居心地の悪さがずっと消えなくて、けれどそれをどう今更謝罪するんだと言うタイミングさえ分からなくなっている。

けれど、結果は気になるもので、烏野の試合がある日は時間があればSNSで誰かが結果を呟いていないか検索し、龍之介からのメールをそわそわと待っていて、それは心地のいい緊張感で、毎日にちょっとした彩を与えてくれた。

ガヤガヤと懐かしいようなそれでいて心地よさと緊張がごちゃ混ぜになる空気感が漂う仙台市体育館に足を踏み入れる。
そろそろ、試合開始の頃だろうか、ギャラリーへ足早に進む人たちがいる。
さて、一般観戦している人が多そうな方へ行こうか、と方向転換した時、「ちょっと、待ちな」と威勢のいい声がして思わずそちらを見る。
そこには背が高い男性の腕を掴んで、何やら訴えている細身の女性がいた。
その横顔にふと見覚えがあるような気がして止まる、とその女性がこちらを見る。

視線がかち合った途端、「あ…」とその女性と声が重なる。
「龍とスポ少一緒だった、よね?」
龍之介によく似た笑顔で笑ったその人の名前を思い出した、冴子ちゃんだ。

冴子ちゃん曰く、白鳥沢のスパイ疑惑の男性の腕を引き、私も当たり前のように烏野高校の応援の人たちが集まる席に行くことになる。
冴子ちゃんが連れてきた人は結局、烏野高校の選手の父兄だったようで、マスクをとっていた。

「この子、龍と昔からの知り合いなんだ」と冴子ちゃんは私の紹介を法被を来た大人にしてくれる。
そうか、この人たちが龍が言っていた、練習試合をした事のある町内会チームか、と納得する。

気付けば、烏野のウォームアップが始まって、後輩に話しかける5番の背中を見つける。
触り心地の良さそうな坊主頭をこんな距離から見下ろしたのははじめてで、チームで先輩をして後輩をしている龍を見たのもはじめてで、こんなにも頼もしい空気を出しているんだと知る。

ずっと避けていたバレーなのに、まさかこうやって龍之介に引っ張られるような形でまた見るようになるとは。

試合開始を告げるアナウンスが流れ、烏野高校のキャプテンがコートに駆け寄っている。
あぁ、知っている大地さん、だ。
次は3番の人が呼ばれて、自然にあぁ、旭さんだ、と声に出そうになる。

「5番、田中龍之介」

黒いユニフォームに5番を背負った龍之介がコートへ駆け寄る。
横に立っている冴子ちゃんが「龍〜」と声をかけると、ちらりとこちらを見上げた龍之介が一瞬だけ目を見開いてはにかんだように笑った。

その後も呼ばれる、烏野高校のメンバーは、私には何故か馴染みがあるように感じて、それはきっと龍之介が楽しそうに、時に面倒そうに私にメールしてきていたからだ。
9番の影山くんは、北一のセッターだった子で10番の日向くんとの速攻がすごい事。
影山くんと日向くんが入部する時にひと悶着あって、それを面倒を見ていたのは龍之介で、朝早いから、と毎朝まだ外が暗い時間に"はよ"と一言メールが入っていたっけ。
"何で、わざわざ私にバレー部の報告してくんの?部誌じゃないから"と言った私に"いいじゃん、お前が試合見に来た時に楽しめるだろう"と親指を立てた絵文字とともに来た返信を思い出す。

それが本当になった。

きっと、それは龍之介が諦めなかったからで、何をって言えば、強くなる事や、何度かあった部員同士のぶつかり合いをどうにか良い方向に向かわせる事や、私がバレーをまた見たいと思うまでのあの数々のメールを。

怪我でバレーを避けていた私に、何の含みもなく言った一言を叶えようとしている5番が輝く背中は、まるで、幼い頃憧れた漫画の主人公みたいだ、と安易な思いつきに思わず、涙で視界が歪みそうになって思わず唇を噛み締める。



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