No.016

箔付けなんてしなくても



 高校前のスクールバスを待ちながら、そっと携帯の画面を見た。バス停で待ってて、というメッセージの後に、今向かってる、と短い言葉が追加されている。バスは次で最終便で、友達は先に帰してしまっていた。バス停のベンチにはもう人気はない。
 天童覚は、それなりに仲の良い相手だった。部活も違う上、スポーツ推薦と普通入試なので、一年生の時に同じクラスになっただけで接点は少ない。しかしどうしてか天童は構いたがり屋な性格をしているようで、いつのまにかアカウントを交換し、メッセージを相互に送り合っていた。きっと天童は誰を相手にしていても楽しいんだろう。実際、いつ見ても楽しそうにはしている。
 昨日は彼にせがまれて(メッセージを遡れば、彼からの試合見に来て欲しいアピールが続いている)バレー部の県大会決勝戦を見にいったが、白鳥沢は敗北を喫した。スーパーエースと名高い同級生の牛島君の前評判は聞いていたが、スポーツの試合は予測できない。バレーを詳しく知らないので、相手チームが強いのかどうかはよくわからなかった。
 天童が来たらどう声を掛けてあげようかと考えていると、遠くから声が名前を聞こえてきて体を乗り出してみる。暗くて見えにくいが、天童が大手を振って走ってきていた。
「はーゴメン! 最後のミーティングだってのに、マジで一〇〇本サーブやるんだもん!」
 ジャージ姿の天童は息を切らせたままどっかりと隣に座る。ペットボトルの水を差し出すと、何度か見返した後、素直に受け取った。
「待った〜?」
「大丈夫だよ。最後のバス来たら問答無用で乗るつもりしてたけど」
「ごめんて」
 天童がぐいとペットボトルを仰ぐ。喉を鳴らせて数口飲んだ後、ホイ、アリガト、と軽い礼を言いながら返してきた。
 ペットボトルを鞄に戻して、天童を見上げる。背を丸めていても首が痛くなるほどにこの男は無駄に背が高い。
「俺さ、」
 天童が話し始めたので、うん、と促す。天童はどこか嬉しそうに口元を緩めた。
「バレー自体は好きなんだよね。鍛治くんスパルタで練習ホントキッツイんだけど、好きは好き。……でも俺、バレーでどうしてもチームワークを乱すな〜とか団結しろ〜とか苦手なんだよね。たぶん、今以上に俺の好きになれるチームって今後も無くて。だからバレーはもうやめようかなって」
 よく練習がキツイとボヤいてはいたが、天童からバレーの話を詳しく聞いたことはなかったかもしれない。取り留めもなくぽろぽろとバレーの話をしながら手で自分の指をこねくり回し、天童は少し肩を落とした。しかし声や表情はいつも通りで、天童はポーカーフェイスの牛島君とはまた別種の、掴みにくい人間だった。
「だから、ホントは、全国大会への切符を持って今日お前に、付き合ってくれって言いたかったんだけど」
「ん?」
「え?」
 あれ、と天童が言葉を切る。特徴的な丸い目を更に丸くさせてこちらを見下ろし、やがて窺うように視線の高さを合わせるように身を屈ませた。
「俺そこそこ露骨だったよ?」
 固まったまま天童の四白眼を見返す。隣にいるのは見知った大きな目と、大きな口(鱒に似ていると前から思っていた)の天童覚だった。試合を見に来てくれと誘われた時も、文化祭で一緒に焼きそばの屋台に行こうと誘われた時も、運動会の二人三脚で一位を取って声を掛けられた時も、何も考えずに彼と接してきた。今思い返せば、確かに天童の好意は露骨だ。
「頭よし子ちゃんのくせに、にぶちんなんだから〜」
 落胆しながら、天童は両手で顔を覆った。子供がごねを捏ねるように地団駄を踏み、「ここ来んのにすげー緊張したのに!」と喚いた。
 一頻りごねてから顔を上げた天童が、むっつりとしながら見下ろす。拗ねているようにも怒っているようにも見えた。
「じゃあ、俺に告られたら、どう思う?」
「……びっくり、する」
「じゃなくて」
 天童が何を言わんやとしていることはすぐに理解できた。もちろん、それは感想ではなく異性として好きかどうか、付き合うかどうかの話だ。
 彼と出会ってからのこの数年を思い出す。友人として付き合ってきた天童は嫌いじゃない。たまにわざと挑発した態度を見せたり、急に不機嫌になることもあるが、普段はわかりやすく素直な性格をしている。天童はいつから、どこを、と考える程に疑問がぼろぼろと湧いて落ちた。
 ポン、と軽い電子音がして天童から目をそらす。電光板に最終バスがもう数分で到着すると表示されていた。
 そろそろ帰る時間が迫っている。しかしそれが、今は助け舟のようにも見えた。
「あの、明日……」
「なあ」
 立ち上がりかけたところを、ぐいと袖を引かれて振り向いた。天童が、眉をハの字にして見上げてくる。
「やっぱ、若利君とか、全国行き決めるぐらいのヒーローでないと、ダメ?」
 見上げる表情は何かに願うとはまた違った、どこか諦めたような表情だった。
 過小評価するような物言いに思わず「は?」と怒声混じりに聞き返すと、天童は少しだけ瞳を揺らした。
「もし昨日の試合に勝ってても、変わんないよ。人間的には好き」
「マジ?」
「人間的に!」
 目を輝かせて勢い良く立ち上がる天童からじりじりと後ずさる。椅子に鞄を置きっぱなしにしているのはわかっていたが、渾身のお絵かきを先生に褒められた五歳児のような顔で寄ってくる天童から目をそらせなかった。
 立ち上がった天童は、普通の人よりも大きい上に手足が長い。腕まで広げて囲い込むように隅へ追い詰められれば逃げ場がなくなる。
「付き合お」
「だから、明日……」
「いーじゃん! どこに悩む要素あんのさ!」
 ぐいぐいと迫ってきた天童に、手を握られる。冬場なのに天童の手は少し汗ばんでいて、思わず手と天童を交互に見比べた。珍しくどこか緊張した面持ちの彼は、合格発表で番号を必死で探す受験生にも似ている。ああきっと、このわかりやすさも好きなところだ。彼の言うとおり、表情も態度も言葉も、露骨だった。
「わかった」
「え?」
「いいよ」
 電光掲示板がもう一度音を鳴らすと同時に、周囲が急に照らされた。エンジン音が近づいてきて、見れば最終バスがゆっくりと向かってきているところだった。
 マジ、と聞き返されて頷く。承諾したこと自体が恥ずかしくなってきて俯くと、女子更衣室で嗅いだことのあるような制汗剤のにおいがした。風がなくなっていて、天童にハグされているのがわかる。一〇〇本サーブをしてきたと言っていたが、きっとここへ来るのに、告白するために慌てて誰かに借りでもしたのだろう。そう思うと少し可愛く思えてきて、すぐに離してと声をあげようと思ったがどこか笑い声に変わっていた。
「天童、バス来るよ」
「えーもういっそ泊まってこーよ俺の部屋」
「下心が早い!」
 バカ、と腕を突っ張って離させる。案外簡単に天童は手を離した。
「そういうのは」
「そういうのは?」
 見上げると天童はダンゴムシを手のひらで転がして遊ぶ小学生のような顔をしていた。少し腹が立つ。
「バカ」
 バスが到着したのを見計らって鞄を肩に掛け直し、バスに飛び乗った。
 発車するのに合わせて後部座席へ移動した。後ろを見遣れば天童が飛び跳ねながら両手を大きく振っていた。きっと天童はこの後バレー部の仲間へ報告へ行くのだろう。彼氏の天童がどうかはわからないが、余り不安はない。楽しくなりそうだ。彼から見えるかはわからないが、バスが曲がり角に差し掛かるまで小さく手を振り返した。



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