No.014

UNSUNG HERO



受話器を置くと同時に叫びたいのを我慢して職員室を飛び出した。
インハイ予選。あの子たちは十分に実力を出し、力いっぱい戦った。それでも、彼らの目指す全国の舞台にはまだまだ及ばなかった。
強くなりたい。
その願いを叶えるために、僕ができること。
その一つが実を結んだのだ。
スリッパなんて走るには不向きなことくらい分かっている。もちろん、学校の廊下を走ることがいけないことも。
それでも足は理性による制止など聞きはしない。
やっと見えた第二体育館の入口に、さらにスピードは増していく。
数段しかない階段を駆け上がったところで、スリッパが足から離れていくのを感じると同時に近づく体育館の床。
「え、武ちゃん?」
顔面から倒れ込んだものの、痛みなんて感じなかった。
「行きますよね!?東京!!!」
心配してくれている生徒たちの声を吹き飛ばすように、僕は力いっぱい叫んだ。

東京遠征の説明をすると、予想以上にみんなは喜び、やる気を見せてくれたから、思わず笑顔になってしまった。
「そうだ、先生」
話が終わり、練習を再開したところで烏養くんがこちらを向いた。
「なんでしょう?」
「さっき転んで鼻血出してただろ?でこも赤くなってるし、まだ保健の先生いるんなら見てもらったほうがいいぞ」
見た目は少し怖いけれど、指導力もあって優しいコーチが、スッキリと出している自分の額を人差し指でつついた。
「大丈夫ですよ。こう見えて体は頑丈ですし」
「先生が意外とタフなのはわかってるよ。でも、ケガは怖いからな。田中ー!」
烏養くんは田中くんを呼ぶと、
「先生を保健室へ連れていってくれ。大事な時期に怪我されたら困るからな」
と肩に手まで乗せて念を押している。
「大袈裟なんですよ。僕は平気ですから。田中くん、練習に戻っていいですよ」
「いいや!武ちゃん、こういうのはあとから頭が痛くなったりすんですよ」
「じゃー田中、よろしく」
「まかせてください!」
精一杯拒否してみたものの、チーム二番目のパワーを誇る田中くんにかなうはずもなく、ズルズルと引き摺られるように体育館をあとにした。
「失礼しまーす!」
田中くんがノックして開けたのは保健室の扉。
「あら?田中くんがこんなところにくるなんて珍しい。突き指でもしたの?」
奥から立ち上がってこっちに向かってきた養護教諭は、いつも清水さんを見慣れている田中くんでさえ、緊張するくらいにキレイな人だ。
「イエ、見テモライタイノハ、武チャンデス」
なにも、そんなにカタコトにならなくても。
「武田先生、でしょ」なんて指導されているのに苦笑いして、
「田中くん、僕はもう大丈夫ですから練習に戻ってください。ありがとうございます」
とお礼を告げると、
「失礼シマシタ」
と田中くんは深々とお辞儀をし、礼儀正しく扉を両手で閉めていった。
勧められるままに椅子に座ると、先生からの尋問が始まった。
「武田先生、どうされたんです?たしかにおでこが赤いですけど」
細くて長い指が伸びてくる。やや冷たい手がくせっ毛な僕の前髪を持ち上げると、綺麗な顔が近づいた。くるんと上向きのまつ毛がとても長い。
「体育館の入口で転んだんです。顔面から床に倒れたので少し鼻血が出ましたがもう止まっています。ですから、大丈夫、です」
合ってしまった目をさり気なく外した。わざとらしかっただろうか。
「でも、ここはたんこぶになってますから、少し冷やしておきましょう」
立ち上がった先生は保健室の片隅にある冷蔵庫から保冷剤を取ってきて、ガーゼにくるむと僕のおでこに当ててくれた。
「ありがとうございます」
自分で保冷剤を押さえると、先生の手は離れていった。
「バレー部、頑張ってますね。三月あたりの西谷くん、とても心配でしたけど」
「ええ。離れていた子たちもみんな戻ってきて、一年生もすごい子たちが入りました。それに、あのひたむきさには頭が下がります。とても僕には真似出来ない。若さですね」
「武田先生、まだお若いじゃないですか」
「もう、すぐに30ですよ」
くすくす笑うと、先生も笑っていた。
「あの子たちはヒーローなんですよ、僕にとって」
「ヒーロー?」
「ええ。ヒーローです。英雄。英智、武勇に優れたひと。偉大なことを成し遂げたひと。その意味では、バレー部のみんなはまだヒーローとは呼べないかもしれません。ですけど、彼らを見ていると純粋に憧れるんです。ひたむきに高みを目指し、力を手に入れていく。もちろん、高校生らしく、色んなことに悩んで迷って、ときには楽しんでいますが、あそこまでバレーに夢中になれるのは羨ましくもあります。男はいつだってヒーローに憧れるものでしょう?」
しまった。つい、熱弁してしまった。
かぁーっと顔に熱が集まるのを感じながら、チラリと先生を見やると、意外にも彼女は真面目な顔で僕の話を聞いていた。
「僕はね、先生」
「ええ」
「彼らを本物のヒーローにしてあげたいんです。もちろん、彼ら自身の頑張りがなければ無理な話ですが、その高みを目指せるだけの環境を最大限整えるのが大人の、僕の役目だと思っています」
「……武田先生は、」
「はい?」
「いえ、なんでもありません。それなら、怪我なんてしていられないですね」
フフッと笑った先生から、桜の花びらが舞うような吸引力を感じて息を飲んだ。
「それに、武田先生、四月からずっと休み無しでしょう?熱心なのは結構ですけど、ご自分の体も心配なさってくださいね」
「……肝に銘じます」
「お願いしますよ?先生が倒れたらバレー部の子たち、困りますから。春高予選、楽しみですね」
窓の外には走る野球部の掛け声が響いている。
溶けかけた保冷剤を額から外した。
「僕も、とても楽しみです」
夢で終わらせられない、僕の春高への戦いも始まっていた。



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