No.011

伝えたいこと



『大好きなお兄ちゃんへ』
 そう書き出した手が一行も経たずに止まった。深くため息をついて、その一行にも満たない文章を消す。

「まだ悩んでるの?」
「んー。まとまらなくて」

 徹さんが差し出してくれたミルクコーヒーを受け取ると、ふわりと甘く優しい香りが鼻をくすぐる。

「他にも色々準備終わってないのにーっ!」
「つい最近まで、式はまだ先だねーなんて話してたのにね」
「ね、あっという間」

 それだけ、徹さんとの結婚を決めてからの日々が目まぐるしく、そして充実していたということなんだろう。

「んで、なーんでまた岩ちゃん宛の手紙にそんな悩んじゃうのさ」
「そりゃ悩むよ!知ってるでしょ?私がいかにお兄ちゃんっ子だったかって」
「うん。嫌ってほど知ってる」

 何を思い出しているのか、徹さんは苦い顔をする。自意識過剰でもなく、客観的事実としてお兄ちゃんは結構なシスコンだ。小さい頃からそれを一番近くで見てきたのは間違いなく徹さんだろう。

「お兄ちゃんはね、強くてかっこよくて優しくて…思い出を挙げたらキリがないよ」

 初めてお兄ちゃんとおつかいに行った時、疲れてぐずる私をおんぶして帰ってくれたこと。
 お化けが怖くてお兄ちゃんのお布団に潜り込んだら「だいじょうぶだ。おれがぜってーまもるから」って約束してくれたこと。
 悪戯ばかりしてくる男の子を…まぁ、徹さんなんだけど、懲らしめてくれたこと。
 学校で嫌なことがあったとき、何も言わず側にいてくれたこと。
 友達関係で悩んでいたとき、「何があっても、誰がなんと言おうと、俺はお前の味方だ」って言ってくれたこと。
 徹さんと付き合い始めた時、すごく寂しそうな顔で「よかったな」って笑ってくれたこと。

「あ…」
「どうしたの?」
「私まだ、お兄ちゃんに結婚おめでとうって言われてない気がする」

 昔から家族ぐるみの付き合いのある及川家、岩泉家両家では、私たちが付き合ってることも結婚することも筒抜けではあったけど、それでも正式に結婚の報告をしたときはみんな祝福してくれたのに。

「俺も…言われてないな」
「お兄ちゃん、反対なのかな」
「まぁ岩ちゃんにとっては何よりも大事な妹だからね。複雑なんじゃない?」

 お兄ちゃんが私のことを大事に思ってくれているのは嬉しい。けど、だからこそ認めて欲しい。祝福して欲しい。徹さんの魅力に気がつくことが出来たのもお兄ちゃんがいたからこそなのだから。

「もしかして…俺だから、かな」
「え?」
「俺なんかに大事な妹を任せられないって思ってるのかも」

 そんな弱気な発言とは裏腹に、徹さんは自信に満ち溢れた表情を浮かべている。徹さんはわかっているんだ。お兄ちゃんがどう思っているかも。

「ずるいな、徹さんは」
「そういうとこも好きでしょ?」
「どうでしょーね」

 徹さんには任せられない、なんて。お兄ちゃんはそんなこと絶対思わない。だって徹さんは、お兄ちゃんの最高の相棒なんだから。そう再確認すると、今までちっとも進まなかったペンが自然と動き出す。やっぱり敵わないな、徹さんには。

「ね、綺麗?」

 そうして迎えた結婚式。徹さんと一緒に選んだウェディングドレスを身に纏い、今日ほとんど言葉を発していないお兄ちゃんに声をかけた。

「…いつの間に、こんな綺麗な大人になっちまったんだろうな」

 お兄ちゃんの腕を取り、チャペルで待つ徹さんの元へとゆっくりと歩を進める。この逞しい腕にずっとずっと守られてきたんだ。涙が滲んできて、チラッとお兄ちゃんを見上げると真っ直ぐに徹さんを見ていた。

「頼んだぞ」
「もちろんだよ」

 短い言葉の中には、確かな信頼。お兄ちゃんに背中を押されるようにして徹さんの腕を取り振り返ると、お兄ちゃんは私の大好きな頼もしくて優しい笑顔を浮かべてくれた。

「振り返んな」
「っ…ありが、と」

 ああだめだ、泣きそうだ。下を向きそうになった私の名前を小さく呼んだのは愛しい人。
 言葉にはしないけど、大丈夫だと、柔らかな笑みで伝えてくれる。泣きそうになる度何度も、何度も。やっぱりこの人を選んで良かった。

「それでは、新婦から感謝の手紙です」

 手紙を持つ手が震える。第一声から声も震えている。それでも徹さんが力強く、そして優しく私の肩を支えてくれるからなんとか涙を堪えて読むことが出来た。

「大好きなお兄ちゃん」

 それでも、お兄ちゃんの姿を見たらどうしても涙が我慢できなくて。だって、大粒の涙を拭いもせずにまっすぐに見てくれているんだもん。

「お兄ちゃんは、強くてかっこよくて、どんなことからも私を守ってくれました。大好きで、憧れる、私のヒーローでした。長い間私を守ってくれてありがとう。これからは」

 ありがとう、お兄ちゃん。これからもずっとずっと大好きだよ。でももう、お兄ちゃんに守ってもらわなくても大丈夫だよ。

「これからは、俺がヒーローになるから」

 マイクを自分のほうに向けた徹さんがお兄ちゃんを見据えて言う。その目には揺るぎない覚悟と、私へのたくさんの愛情。私を守ってくれたお兄ちゃんの目と同じ。ゆっくりお兄ちゃんが頷いて、それから満面の笑みを浮かべてくれる。

「結婚、おめでとう」

 昔、将来はお兄ちゃんと結婚する、と言ったことがある。そしたらね、「俺と同じくらいお前をちゃんと守ってくれるやつがいるから、大丈夫だ」って言ったね。その人ってさ、徹さんだったんだよね。お兄ちゃんは、私がいつかお兄ちゃんの手から離れるってわかっていたんだよね。その人の手に託すまで、全力で守ってくれたんだね。

「ありがとうっ…」

 いつか、そう遠くない未来、私に守りたいものが出来た時は、貴方のように強くて優しいヒーローにきっとなってみせるから。徹さんと一緒に守ってみせるから。だから、ずっとずっと憧れさせてね。
 私の大好きなヒーロー。大好きな、お兄ちゃん。


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